ハンドルが予想以上に切れるクルマも疲れます。

ハンドルを切り始めたらそれに応じて曲がりはじめ、さらに切り込んでいってもスムーズに曲がっていってくれるクルマがベストです。

逆に切り始めの部分では反応が鈍く、さらに切り込んでいくと急に曲がりだすといったクルマはハンドル操作に気をつかうため、疲労度がグンと高まります。

とくに高速走行のときには、それが顕著です。

同様にブレーキも、踏み込む力と制動力がうまくリンクしているのがいいクルマです。

少し踏んだだけでカックンと止まるようなブレーキは、利きがいいのではなく扱いづらいブレーキといえます。

こうしたブレーキは雨で滑りやすい路面などでは、スリップを引き起こしやすいといったことにも結びつきます。

要するに、すべてにおいて自分のイメージどおりに走り、曲がり、止まってくれるクルマがいい中古トラックといえるでしょう。

ここで注意しなければならないのは、予想以上に鋭い発進を、「出足がいいな」などと肯定的にだけとらえないことです。

これは駐車などの細かい運転をしにくくしてしまう原因になります。

発進は、速さより滑らかさ、自然さ、素直さが大切で、そういうクルマならオートマチック車に見られる暴走事故も起こりにくいといえます。

走りだしてからも、つねに「速い速い」と思わせる中古車トラックはおすすめできません。

たとえばターボを装着したクルマによくあるのですが、加速をしようと思ってアクセルを踏んでもなかなか加速せず、一呼吸おいて一気に荒々しい加速を始めるようなクルマ(これを俗にドッカンパワーといい、専門家からは嫌われる性能です)は、安全上好ましくありませんし、運転していて疲れます。

アクセルを少し踏めばゆっくりと、たくさん踏めば力強く加速する、つまり微妙なスピードのコントロールが自分のイメージどおりにできるかどうかは、大切なチェックポイントです。

トラック中古車を買うとき、試乗をしないで買ってしまう人がいますが、これは感心しません。

たとえ15分程度でも、必ず試乗をしてみるべきです。

「それぐらい乗っても何もわからないよ」と思う人もいるかもしれませんが、それなりの意識を持って試乗すれば、意外にたくさんのことがわかります。

同乗してきたセールスマンと世間話をするなどもってのほか。

「このオーディオの使いかたですが......」なんていうくだらない説明などは聞く必要はありません。

そんなことは、買った後で教えてもらえばいいのです。

そこで、試乗のポイントをお教えしましょう。

まずは、シートの感触や自然な運転姿勢をとることができるかどうかを確かめてから、発進します。

オートマチック車の場合は、発進がスムーズかどうかもチェックしておきます。

たった10パーセントと思うなかれ。

多くの中古トラックドライバーがマニュアル車を選択することによって、10パーセントの燃費節約を達成したら、これはなかなかの環境保護運動になるのではないでしょうか。

いずれにしても、年をとったからオートマチック車という消極的な選択をするのではなく、ごく軽いジョギングをするつもりでマニュアル車に乗るのはとてもいいことです。

ときには山道に出かけ、1人きりで思い切りドライビングを満喫するのもいいでしょう。

手足を総動員して走れば、日ごろのストレスなど、一気にふっ飛んでしまうはずです。

もっとも、いままでオートマチック車にしか乗ったことがない人が、マニュアル車に乗るのは大変です。

が、いままでマニュアル車に乗ってきた人が、「オレもそろそろ年だな」という理由からオートマチック車に乗り換えるのはやめたほうがいいと思います。

年をとった人がマニュアル車に乗っているのはカッコがいいものですし、ある程度の年齢になってもマニュアル車に乗るぐらいの積極性と自信を持っているかぎり、身体機能が急速に衰えることはないのではないでしょうか。

ハイデルベルクを経由して、シュツットガルトの西四〇キロにある、フォルツハイムの町に着いたのは夕方だった。

行程は約一〇〇キロである。

ベンツ第一号車の最高速は時速約一三キロと計測されているが、おそらくこの長距離ドライブの平均時速は一〇キロ弱と推定される。

これは、当時の最も進歩した駅馬車のスピード(時速九・五キロ)と同レベルである。

とにかくベルタと二人の息子は、史上初の自動車旅行者となった。

それはまさに、今の中古車トラックなどの輸送にかかわる自動車の登場するきっかけとなり、物流がさらに速くなる原動力となるのである。

またベルタはこれまた史上初めての女性ドライバーということになる(ただし、実際にはこの旅行でハンドルを握っていたのは、ほとんど一五歳の長男のオイゲンだったという)。

ベルタたちはフォルツハイムの祖母の家に行くつもりだったが、あまりにも疲れはてていたため、イスプリンゲン街の手近な旅館に泊ることにした。

二人は七二年七月二〇日に結婚したカールが2ストロークのガス/ガソリン原動機(定置用)の発明や、自動車の研究に取り組んでいた七〇年代から八〇年代にかけて、ベルタは妻として、また母としての役割を十分に果たしながら、カールの研究に対して献身的な助手をつとめた。

ベルタは、夫の発明した自動車への世間の評価の冷たさには不満だった。

それはまさに、今のトラック中古車などの輸送にかかわる自動車の登場するきっかけとなり、物流がさらに速くなる原動力となるのである。

そのためベンツ車の"ロード・トランスポーター"としての有用性を実際に証明して見せることを思いたった。

一八八八年八月のある早朝、カールがまだ寝ている間に、ベルタは長男のオイゲンと次男のリヒァルトの二人をのせて、ベンツー号車でマンハイムの街を後にした。

ときおり故障(車輪を駆動するチェーン切れが一番多かった)を起したものの、カールの有能な助手だったベルタにとって修理は手馴れたものだった。

私が他人の運転する中古トラックに乗ったとき、何に注目するかといえば、その人がいかにクルマをスムーズに走らせているかです。

うまいドライバーは、ハンドルを切るにしろ、ブレーキを踏むにしろ、あるいはアクセルの踏み方一つとってみても、実にスムーズに行なっています。

だから、隣りに乗っていても恐怖感を感じることはまったくありません。

リラックスしてシートに座っているだけで、いつのまにか目的地に着いてしまいます。

私は仕事柄、超一流のレーシングドライバーの横に乗ってサーキットを走るチャンスがありますが、彼らの運転は想像以上にスムーズです。

あまりにもスムーズにクルマが動くため、恐怖感を感じるどころか、スピード感さえありません。

しかし、タイムを計ってみると、これが猛烈に速いのです。

このように、スピードの速い遅いにかかわらず、運転のうまい人は「つねにスムーズさを失わない」という特徴を持っています。

下手なドライバーだとそうはいきません。

それほど飛ばしているわけでもないのに、ハンドルを切るたびに体は左右に揺さぶられ、ブレーキを踏むたび、アクセルを踏むたびに、つんのめったりのけぞったり......。

これでは同乗者がリラックスできるわけがありません。

長距離耐久ラリーでは、多くの年配ドライバーが活躍しています。

F1のように、短時間で勝負がつくレースは若いドライバーにはかないませんが、一ヵ月間で何万キロにもおよぶ道程を走るという長距離耐久ラリーの場合、年配のドライバーが上位を占めるのは、それほど珍しいことではありません。

その理由は簡単。

年配ドライバーのほうが、豊富な経験に裏打ちされたムダのない走りをするからです。

ムダのない走りはドライバーの疲労度を減らすだけでなく、クルマにかかる負担を減らすことにもつながります。

さらに精神的な余裕を持って走っていると、周囲の状況や路面がよく見えますから、コースを間違えたり脱出が困難な轍にはまったりする確率が大幅に減るのです。

まさに、経験の積み重ねが勝負を決めるといっていいでしょう。

そして、ラリーも日常的な運転も、「何が起こるかわからない状況のなかで中古車トラックを動かす」という点ではまったく同じです。

環境庁の付属機関の中央公害対策審議会は47年10月、さきに同審議会の自動車公害専門委員会がまとめた「米国のマスキー法なみのCO、HC、NOの規制を昭和50年、51年を目標に実施すべきだ」という中間報告を了承し、小山環境庁長官(当時)に答申した。

この結果、わが国にもマスキー法並みの厳しい規制が適用されることになった。

わが国の自動車業界は、環境庁がマスキー法並みの規制措置をとりそうな形勢を察して、この年6月、日本自動車工業会の豊田英二会長(トヨタ自動車工業社長・当時)らが大石環境庁長官(当時)に会い「現状ではマスキー法なみの規制をクリアするのは技術的に極めて難しい」として同法の国内適用を延期するよう要望していた。

それだけに環境庁がマスキー法なみの規制に踏み切ったことは、自動車業界に大きな衝撃を与えた。

この後、規制は続けられ、現在では新車でも中古車トラックでも黒煙を上げて走るなどということはなくなった。

1970年(昭和45年)12月31日に米国で70年大気汚染防止法(いわゆるマスキー法)が発効し、これによって自動車の排ガス規制は大きな転機を迎えた。

同法はメーン州選出のマスキー上院議員らが中心になって起草したため、一般にマスキー法と呼ばれている。

大気汚染防止のために厳しい規制を設けているが、とくに自動車については、「排ガス規制装置を完備して、一酸化炭素(CO)と炭化水素(HC)は75年(昭和50年)1月までに、また窒素化合物(NO)は76年(昭和51年)1月までに、それぞれ無規制時(71年)の排気量より90%減らす、つまり10分の1にしなければならない」と規定している。

この結果、日本の自動車メーカーは、対米輸出車については約5年間にこの厳しい排ガス規制を達成しなければならないことになった。

翌46年7月1日には日本でも環境庁が発足し、公害防止行政はいよいよ本格的になってきた。

これ以降、排ガス規制はどんどん厳しくなり、新車でもトラック中古車でも一定基準をクリアした車のみ走ることを許されている。