2011年2月アーカイブ

日本の自動車工業にとって、明治、大正期を文字通りの「草分け時代」とすれば、昭和の初期から1945年(昭和20年)の敗戦までは「夜明けのころ」といえよう。

この時期をさらに分ければ、前半の「昭和ひとけた」は、日本の巨大な自動車メーカーが相次いで誕生の産声をあげた揺藍期であり、後半の昭和11年から20年にかけては、戦局が日中戦争から第二次世界大戦へと拡大する中で、ガソリン不足のため代用燃料車や電気自動車の開発、実用化に専念した苦難の時期であった。

現在、日本の自動車産業の中心となっている主な自動車メーカーのうち、トヨタ自動車、日産自動車、マツダ(前身は東洋工業)、本田技研工業、いすず自動車の5社は、いずれも「昭和ひとけた」の時期に、なんらかの形で本格的な第一歩を踏み出している。

昭和の初期といえば、世界的な大不況に襲われたとはいえ、日本の経済社会が全体として近代化の道を急速に歩み始めたころだ。

だからこの時期に巨大な自動車メーカーの"芽"が出そろったのは決して偶然とはいえない。

近代化が進み、不況の今の時代は何か"芽"が出るものがあるのでしょうか?

中古トラックが輸出できるだけまだ大丈夫な気もしますが・・・。

曲豆川順弥の白楊社は、大正年間にオートモ号というすぐれた自動車を製作し、国産輸出車の第一号としての名を自動車史に止めたが、もう一つの功績は人材を集め、育成したことだろう。

この点について『日本自動車工業史稿』(自動車工業会編)は次のように述べる(抜粋)。

「大正12年から13年にかけてのころは白楊社の(自動車)製造が活発になった時期で、従業員は約250人にのぼり、多くの人材が集まってきた。

豊川順弥氏によると、月給は世間の約3倍を支払い、その代わりに最大限の能力を発揮してくれるようにしむけたという。

白楊社の功績は人材育成の点で顕著なものがあり、(この人たちは)やがて各産業界に支配的な人物として巣立って行った」

この巣立っていった人が後に素晴らしい日本車を作り、今の中古車トラックでも輸出できる時代を作ったのです。