2011年7月アーカイブ

ハイデルベルクを経由して、シュツットガルトの西四〇キロにある、フォルツハイムの町に着いたのは夕方だった。

行程は約一〇〇キロである。

ベンツ第一号車の最高速は時速約一三キロと計測されているが、おそらくこの長距離ドライブの平均時速は一〇キロ弱と推定される。

これは、当時の最も進歩した駅馬車のスピード(時速九・五キロ)と同レベルである。

とにかくベルタと二人の息子は、史上初の自動車旅行者となった。

それはまさに、今の中古車トラックなどの輸送にかかわる自動車の登場するきっかけとなり、物流がさらに速くなる原動力となるのである。

またベルタはこれまた史上初めての女性ドライバーということになる(ただし、実際にはこの旅行でハンドルを握っていたのは、ほとんど一五歳の長男のオイゲンだったという)。

ベルタたちはフォルツハイムの祖母の家に行くつもりだったが、あまりにも疲れはてていたため、イスプリンゲン街の手近な旅館に泊ることにした。

二人は七二年七月二〇日に結婚したカールが2ストロークのガス/ガソリン原動機(定置用)の発明や、自動車の研究に取り組んでいた七〇年代から八〇年代にかけて、ベルタは妻として、また母としての役割を十分に果たしながら、カールの研究に対して献身的な助手をつとめた。

ベルタは、夫の発明した自動車への世間の評価の冷たさには不満だった。

それはまさに、今のトラック中古車などの輸送にかかわる自動車の登場するきっかけとなり、物流がさらに速くなる原動力となるのである。

そのためベンツ車の"ロード・トランスポーター"としての有用性を実際に証明して見せることを思いたった。

一八八八年八月のある早朝、カールがまだ寝ている間に、ベルタは長男のオイゲンと次男のリヒァルトの二人をのせて、ベンツー号車でマンハイムの街を後にした。

ときおり故障(車輪を駆動するチェーン切れが一番多かった)を起したものの、カールの有能な助手だったベルタにとって修理は手馴れたものだった。